言葉にできるようになりたい

5日目(通算)

この前書き留めていたメモより。恥ずかしいけど敢えて晒そうってやつ。()内は今見ての追記

 

自分で決めたから の覚悟が全くないと思ってたけど、そんなことない。今だって、推薦使わないって決めたのは自分だから頑張らなきゃって思ってる。し、やっぱり使おうかな…とはならない、意思は強いよ。(頑固なのとは紙一重)

人に何を言われようと自分は自分じゃん。正解もなければ不正解もない。

どうしても正解が欲しいなら、正解だと思われたいなら、自分がその道を正解にして見せるしかない。未来を作るのは今の私だ。

人に正解を求めるのは、自分を信頼していない証拠。

論文も学会も結果も何もないのが悔しい。なんで悔しいのか。結果出すことが全てだと思ってるから。なんでそう思うのか。

 

以上。

なんでそう思うのか かあ。

他人との比較材料が欲しいのかな。

負けず嫌いは私の性格だけども、これは比較ゆえのものであって。でも結果って求められるものでもあるわけだから、

ある種この感覚は正しくもあるような。

いつだってどこだって、結果は求められるわけだけど、プロセスがたまに見られるのは、結果がなくてもどう自分で工夫してよくしようとしてるかなんだろうな。

うまくいかない同じ方法を繰り返しても無限ループだから。

もしかしたら次第に脆くなって壊せるのかもしれないけど、違うものだってあるよね。

かといって、継続が悪いわけではないから、バランスが大事ってまさにこのことなんだろうな。もしくは自分がどう思って進んでいくか。

でも全部全部バランスだよ、白と黒の間はグレーだよ、これ最近気づきを得た言葉ね。

しかも白とグレーの間だって、黒とグレーの間だってある。自分が、気持ちが、楽に、幸せに、好奇心が向くままでもいいのかも。生きにくいより生きやすく。

 

結論。

生きやすく生きることを、他の誰でもなく、自分が、受け入れてあげたい。いつも通り、一瞬のその今の選択を大事にしたい。

 

後悔先に立たず。

細かく見るといろんな意味があるけれど(ぐぐった、お得意の)、気持ちの後悔が一番やだから行動したい。あれがあるからできないとか嫌だ、上手いことしてどっちもやりたい。その結果、後がかなり辛くなっても、力量以上はきっと自分で取らないはずと信頼してるから、どうにかやってやんよって感じ、てかします…

 

 

最後に。

やっと太一の前田塾講座参加して、エクセル勉強会長一員トライして、1日目。感想。やってよかった、なぜなら、太一の熱意を肌で感じたから。あ、私から忘れてたなって思った、だいごさんと似ていて、この人がいるから大丈夫っていう存在で励ましてくれるような人。私も存在で語れるように。まずは言葉にしないと、言葉にする勇気から。

 

これもバランスとって、書ける日に書きます(おい)(都合いい)

もっと読みやすい文章にしたいねえ