23日目
つまり今年は23回アウトプットした。
23回しか?23回も?
0だった頃から比べたら、23回もできた。加点式で行こう。
来年またゼロから始めます。
読んでてだいぶネガティブなことを書いた時もあるけど、私のために始めたアウトプットなので、なかったことにしないで残しておくことにします。私も見てるの嫌だけど、これはこれで逃げないように。
今年一番心に残った言葉は
だめじゃない!
無意識で言った言葉を友達が否定してくれた。ハッとした。
この考え方私にはなくて、大事だって思った。
ちなみにこの友達の言葉に今年はかなり救われてました。私も誰かのそういう存在でありたい。
たくさん泣いて笑って笑った2018年を振り返ってもいいけど、良くも悪くも過去は過去。今まで振り返ること大好きだったけど、振り返らないとなくなっちゃうと思ってたんだと思う。
でも振り返らなくても、なくならないから、あった事実は変わらないから、これは別の人に言われたんだけども、これ聞いてまたハッとした。だから、糧にする程度にして、今だけしっかり見て、進むことにします。
だって、なるようにしかならないから!その都度の選択で私の人生変化し放題だから!
来年はより一層、自分がハッピーになれる考え方、見につけたいと思います。モヤモヤのリセットも身につけます。
今年はだいぶ身軽になりました。
少し大人になったようです。
私の中では感情の起伏は今でも凄まじいと思っているけど、どうやら昔ほどではないらしい。これまた別の人につい1週間ほど前に言われた。
というか挙げてきた人たち、私が好きで止まない人と、長いこと一緒にいる同期たちです、いつもありがたいなあって思うばかりです。
さ、今。いま。いま!
全ては自分次第。あとは課題の分離。
必要なところだけ取り込んでハッピーに生きます。
良いお年を。
ps
元気ないところにぽーんって不意にくるメッセージも大抵。元気だ元気だ、2019幸せな出だし!大切にしたい人を大切にする年!
22日目
読んでもらうための文章ではなく、
思ったままの私の思考の履歴。
留学生パーティーがとってもとっても楽しかった!
すごく楽しみにしていて、すごく緊張して、でも
せっかく来たのにいつも通り緊張で話せなくて、友達が増えないで終わるのは嫌だってそう思ったら私の行動は変わった。後悔しないようにの考え方、少しずつできるようになってる。
最初に必要なのはほんの少しの勇気だと実感した。会話のタネなんていくらでもあって、小さな気遣いをまわしてみることも、相手の服装が素敵だと伝えることも、ただ乾杯してみたり、知ってるよ!と伝えたり。それを言葉に発するか否かで変わるんだと思った。決して完全な英語じゃないと思う、けどわかってくれると信じて話す、トライする。
身を以てわかった。
そして行動を変えたら、いつもと変わった結果になった。気持ちを伝えることって大切だと。あとで写真撮ろうって伝えたら探してくれて、距離がうんと縮まった気がした。でもそれもきっかけは今日じゃなくて、日本語クラスで。
やりたいと思ったことは、自分の責任で自分で時間を作り出してやる。新しい世界を見る。新しいコネクションが増える。日本語クラスに参加するのが一番大きな勇気だったかもしれない。繋がりが増えて今日とても楽しかった!
あと初対面でも話しかける勇気。可愛い、美しいと思った人と近くになったら話しかける!だって話のネタはある、貴方が可愛いと思ったってただ言うだけ!今日はそれを覚えててくれてた人とコネクションが広がったり、新しくコネクションができたりした。
最近意識してるのは、英語でIから話すこと。日本語ではなかなか 私は から話すことはない、遠慮しがち。でもそうじゃなきゃ始まらない会話だからこそ、自己開示で、たくさんI を使おうって決めた。相手が開くのを待つのではなく、自分から開く。
最後に
I gonna go my own way strongly even if someone disagree or say you are girl so that.
I can decide EVERYTHING with my responsibility.
Of course, just listening is important.
ハッピーだった日はハッピーなまま眠りについて、朝もハッピーに起きれますように
20日目 2 / 21日目
完全に迷子
現状 ないものしか見えてこない、
つまり比較して、辛くなってる
否定的思考
理想像 ないものを数えない あるものも数えない
つまり比較しない、自分の存在も頑張りも自分で認める
肯定的思考
自分を自分で満足させる、体を動かす趣味探し、スイッチの切り替えの意識、思考回路の切り替え断絶
考えすぎない、動く
以下、この考えに至るまでの吐露
私にはその力ないなあ とか
あの頃はできたのになあ とか
切羽詰まった分だけ頑張った はず なのにズタボロだったり
高望みしてるのか?これは
表情1つで相手の印象って変わると思うし、見た目の良し悪しの印象すら変化すると思ってるんだけど、その不機嫌が顔に出過ぎてるというか無の表情というか、そこから?、どこから?
全部悪循環してる
これも思い込みなんだろうか。
幸せってなんだろうワークをやってから、だからハッピーじゃないのかなあって自然と幸せじゃない理由探しになってて辛い。糧にできてない
捉え方次第
あれもないこれもない、でもこれは捨てたい、あれも投げ捨てたい
ないのかあるのかどっちなのか
ない できない もってない もういっそ尽きるまでないもの探したら残ったものがあるって気づくのかなあ
20日目 1
幸せってなんだろう?ワークショップ
を通して思ってること
ここ最近思ってたけど言葉にしてなかったこと
をまとめる。
思ったまんまで。
顔に人は幸せが滲み出る
目元、頬の高さ、口角の上がり方
作り笑いとかからは記憶できない、本物でしか記憶できない形にしっかり顔に刻まれてる
私はどうだろう
人にまで気が回らない、自分で精一杯
愛ってなんぞや?
幸せってなんぞや?
自分の中の自分だけの定義がわからなくて言葉にできない、言葉にできないから感じ取れない、感じ取れないからわからない
好きってなんだ?
辛いことへのフォーカスも幸せなことへのフォーカスもうまくできない
自分の感情が流されていっている、受け止めることを忘れて噛み締めることを忘れて、ただ流しているってことじゃないの?目を逸らしてるんじゃないの?
自分に優しくするってどこまでなら優しくて、どこからが甘やかしなんだろう
自分に優しくできないのに、人に優しくできるわけがない、
でもコップは両方満たしていかないと、片方が干からびたら意味はないと
心の中心が冷えてて、否定の言葉がでてくる、そんな感じ。
どこか、怖いくらい客観視していて熱狂できない
忘れるくらい夢中に楽しめること、心から湧き上がる何か、暖かい優しいオレンジのような丸くてふにふにしてて、熱と懐かしさが共存しているような、
そんな印象の、幸せ
毎日幸せだと思う瞬間なんてあるのか、
ない、ない、ない、で数えている
できない、やりたくない、わかるわけない、とか持ってないとか、
人と比べて、っていう修飾句が入る
あるものを数えられる方が幸せなんだと思う
現実を受け止める
どこまでは逃避していいんだろう。
後悔することは口にしなかったことの方が多い
理解して理解してもらう、その繋がりが幸せと思うなら、どうして口にしないんだろう、一人で抱えても何の解決にもならないのに
少しストレッチゾーンに入るけど、でもそうやってでも、やり遂げなきゃいけない。
理解してもらおうなんて、伝えないと到底無理だよ
言わなきゃ何も始まらない
19日目
読み返して思ったこと
損だのなんだの、気づかなければ幸せなのかもしれない
みんながハッピーって、あくまでもそれは私の主観であくまでも私の意見
試してみればいいんだろうけど、こういう時に人を動かそうとすることが下手。
人見知りも最大に発揮した内定式
やはり数の多さに耐えられないタイプらしい
少人数の会話じゃないと、それも極端に少人数じゃないとどうやら自分通りじゃない
まあこれも私か。
楽しかったんだけどもね!笑
いろんな人がいて、何を思っても思われても同期で、きっとそのうちまた変わっていく。
最初の印象が色濃いところから、きっと色々知って変わっていくんだろうなあ、楽しみ
大学でもそうだったし。
発想をスイッチする感覚を身近なものにしたい
18日目
明日から10月
と、いうことで学生生活も残り半年になってしまった。6年間ってあっという間。
最後の半期の目標は継続できる人になること。
寝る前のストレッチと腹筋ローラー
これを続けて、体を柔らかく、かつお腹周りを鍛えようと決意。
これら、継続できた試しがない。だから最後くらい、継続できるように、継続できる人になれるように。
体温を上げて健康に生きることも目標。金沢帰ったらとりあえず生姜を買い込む予定。
お金の使い方貯め方の意識もそう。
研究もそう。できる期間がもう限られていて、今の結果伸ばせるかは私にとって三年間で最大の山場。
でも足し算ばっかりじゃしんどいから、引き算も。
何か放り出すことを自分に許すことにした。息詰まるから。やらなきゃの意識を減らしたら楽に生きれることに気づいたから。
最近は人付き合いもいろんなところで切羽詰まり気味で、受け身になっていたけど、忙しくなっていくからこそ、自分から誘えるようになりたい。受け身やめよう、やめたい。
目標はさておき。
最近の生活から。
その1
後期から研究室女の子ぼっち脱出します。
チェコ人の女の子が半年留学に来ています。
念願のチューターデビュー。タイでもロシアでも現地研究室学生によくしてもらった分お返したいってずっと思っていたところにこのお話。できることは何でもしたい。
チューターの立ち位置って少し特別だと私は思っていて。お手伝いが義務化されているわけではあるけど、最初に会って、話して、心の拠り所になりやすい場所なんじゃないかなって。初めて深く関わる現地人になるんじゃないかなって。だからこそ、困った時に助けてあげられる最初の人になれるし、そうでありたいと思う。
何よりそうしてもらえて私は嬉しかったから。
やっぱり特別な気持ちを抱きがちです。
その2
負の感情と切羽詰まりすぎな感情が入り混じりすぎなこの頃。自分に向き合えてないのかなあって少し思う。就活の頃の方がいきいきしてた、って思って理由を考えた時に、あの頃は向き合うことが正で、それが各々のアイデンティティで、私にとって流されないことが正しかった、だからいきいきしてた。というか比較しなかった、これが私、これがこの人というか、個人面接でよかった…笑 惑わされずにやれたわけです。
今は、人に期待しすぎなのか、小さい事でもイライラする。でも期待しないのはそれで、無関心な気もする、だからやだ。だからもやもやする。そんな負のスパイラル。人と比べる機会が増えて、自分の正は人の正とは限らない。受け入れてくれない、邪の気にされる、そう思うけど、受け入れてよって押し付けてしまってるのだろうか。バランスが難しい。
少しずついろんな人が気遣いあって、先回りの行動ができたらみんなハッピーなのにね。
真面目だからサボれないから損だと言われるし思うけど、気も遣えないような人のためも思えないような奴になるくらいなら損した方がマシだと、私はそう思う。なので明日も明後日もお節介も壌土もするときはするんだろう。結果は自己満足なんだろうけど、それでもいい。損させるより損した方がきっとマシ。
なんて超綺麗事。それでもそう思うから、ここに残しておきます。
…でも反面教師だなって思う人がいること、増えることって残念だよなっても思う、まああくまでも、私が、が基準になってることだから主観が過ぎるのかもしれないけど。そういう私が残念なのかもしれないけど。
これもバランスなんだろう、難しい。
明日は内定式。
緊張する。おやすみなさい
17日目
一年前の自分の手紙を読んでの感想
まず熱は続かない、忘れてしまう。
私、自分で書いてること覚えてると思ってた。けど忘れてた。
だから、理解しきれないところもあって。
でも書いてた当時は、気づいて号泣して、そのまま、思ったこと書き連ねてた。
抽象的で、わかりにくい。
ここ直したいなと、率直に思ってしまった。
号泣して書いた割に、その熱量と同じ熱量で読めなくて
冷めていくことが悲しい。
頻繁に思い出して恋しくなることは、熱の維持になるんだなって、その頻度に比例するのかなって少し思ってしまった。
あとは心が夢中になってる場所による。
でもこれは自分だけじゃなくて、逆も然りで、
私だけの熱で、人に伝わらなくてショックだとして、
当たり前のことだと思う。
思い出す頻度もタイミングも人それぞれだから、私と同じ熱量なんて、あるわけないし、ある必要もない。
自分で自分の熱量を大切にしないといけないと気づきました。
同時に、人の熱量を自分の秤で測らないこと。
ところで
私がうまくいかないって感じてたことって
今思えば一体具体的になんだったんだろうか。
口でうまく表せない
何もうまくいかない
そう思っていたけど、何もってなんだ?
全て?
そうでもなくなかった?
新しい人に会って、新しい気持ちに会って、新しい場所を知って、さらに新しい人と会う。
去年の出会いって身近なところから物理的に距離の遠いところまで、
全部大好きな人たちじゃないかと思うよ。
会いたいと思う人が増えて、居場所が増えたんじゃないか?
どん底の時期だと思っていた時期でさえ、てか、その時期こそ、
とある2つの大切な出会いがあったぞ、
小さい幸せを逃さず、温めて
忘れないように何度も思い出したいな
大切な人たちへの熱が冷めませんように。
私の友達みんなにありがとう😊